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座談会・南相馬から避難して

11/12は南相馬から取手市に避難して来られた渡辺さん夫妻をお招きして
座談会【南相馬から避難して・今思う事】 南相馬の方に伺う3.11が行われました。
参加者は渡辺さん夫妻の他に7名で少ないように思いましたが、お話を聞きながら質問したり、
自分の意見を話したりして、全員が話をする事が出来てなかなか面白い会になりました。

渡辺さんの住んでいた小高地区は今は入る事は出来るけれども住む事は出来なくなっています。
副区長をしていたので避難が遅くなったとの事、すぐに戻る事が出来ると思っていたので玄関
の電気をつけたまま、鍵も掛けずに家を出たそうです。
3月12日の3時半ごろドーンと雷のような物凄い音がして、その時は何の音だか全くわから
なくて、旦那さんは前日の地震で壊れた屋根を直していました・・・。
その日の7時頃に家を出て、飯舘村で息子さん夫婦と落ち合い車に一泊、その後川俣町での
4~5日の避難生活を経たのち3/17に取手にたどり着きました。

何に困りましたか?という質問に
「あの時は1歳の孫がいたので、ミルクが手に入らないことがいちばん困りました
持っていた携帯用のスティックのミルクも3日で尽き、水も手にはいらず 離乳食を始めた
ばかりの孫もよほどお腹がすいたのだろう、援助物資の冷えたおにぎりを口の周りを
ご飯粒だらけにしながら必死に食べていた事が本当につらかった。
最初は新潟に避難しようと思ったが、ガソリンが無いので出来ませんでした。
取手に避難してきたばかりのときは家族の他に親戚もいたので20人で暮らしていました」

南相馬の人たちはどこに避難しているのですか?の問いには
南相馬の住民は双葉町や大熊町と違い、避難の為のバスも無くただ避難するように言われて
蜘蛛の子を散らすように逃げたので北から南までバラバラになってしまいました。
中には浪江町の山に避難した人もいました。
今は先が見えない事がいちばん不安、いつまでもこのままではいられないと思うけれども
国はあてにならい、復興費も戻ってきた人の為に使って欲しいのに人を戻すために使っている
一度現地に来てみて欲しい、そうすればどんなに無駄な事にお金を使っているかがわかる
と語りました。

参加者からは
・広島や長崎の原爆体験者の語り部のように、福島で起きた事を今後も色々な場所で
 語って欲しい。
・我々もただ同情するのではなく、一緒にこれからを考えたい。
 など様々な意見が出ました。
実際にお会いして、顔を見て直に話を聞く事の大切さを痛感した座談会でした。

今後渡辺さんは息子夫婦が仙台に移住するので、落ち着いたら自分たちも引っ越す予定
「ここでどんなに良くしてもらっても、自分はやはり東北人なのだと思う」
と語りました。(S.T)

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放射能NO!ネットワーク取手

Author:放射能NO!ネットワーク取手
取手は茨城県内でもホットスポットと呼ばれる放射能が非常に高い地域。
少しでも安心して暮らせる街を取り戻すため。市民レベルで立ち上がり、放射能汚染に立ち向かう活動をしています。

代表 本木洋子(児童文学作家)
事務局長 小泉眞理子(元取手市議)

顧問 久保田 護 氏 
(茨城大学名誉教授)
   青柳 長紀 氏 
(元日本原子力研究所研究員)
 
toride.nt.311アットgmail.com
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